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自己紹介(前半)

水内浩秀は「みずうち ひろひで」と読みます。名前の由来は特になく、両親が姓名判断の方につけてもらった名前だそうです。

誕生日は3月11日です。震災の日は、私の50歳の誕生日でした。
節目の日になぜこのようなことが起こったのか考えながら、徒歩で家に向かったのを覚えています。その後、何度か被災地にボランティアに行き、人間の素晴らしさを再認識しました。人を元気づけられるのは人間だけなんだな~、とすごく感じました。
そしてもう一つ感じたことは、「今、死んでも悔いは残らないか?」ということでした。「Yes」という答と同時に「No」という答も出てきました。今まで以上に、悔いがない生き方をしようと考えました。
そういう意味では、震災は私の生き方を大きく変える出来事になりました。

私は大学時代は空手道部に所属していました。体力がない私は練習でいつもビリっけつ、空手道は好きなのに、練習嫌いでした。しかし、やっているうちに嫌々でも続けていれば、多くのことを得られることに気付きました。礼儀・マナーや今ある生き方そのものも、その一つですね。

その後、製薬会社へ就職し、営業部に配属になりました。なぜか1年か2年に一度は良い成績を上げ、支店長表彰を受けました。しかし、なぜ良い成績が上がったのが明確に分からず、自信にはつながりませんでした。表彰されるのとは裏腹に、周りからの期待が大きくなるプレッシャーを感じました。

営業を10年経験した後、企業理念浸透プロジェクトに参加することになりました。最初の主な業務は研修でした。研修嫌いだったのが今度は研修を行う立場になりました。研修を担当している方々の想いを知り、今までの自分をすごく反省しました。
また、ある時に同僚が「お先に失礼します」と言った時に、私はパソコンを見ながら「お疲れ様でした」と言いました。すると同僚に「ちゃんとこっちを見て挨拶してください」と叱られました。この時に相手の立場に立つことの大切さと難しさを知り、これから自分を変えなければと決意しました。

そして、「7つの習慣」との出会い。初めてミッション・ステートメントを作成しました。しかしセミナーが終われば、すぐに忘れてしまい、手帳は本棚に。。
そうこうしている内に40歳になり、仕事でも行き詰まりを感じ、環境を変えれば活躍できると考えて外食へ転職しました。

(ここからは次回に続きます)